松田の半感応式weblog

つまりDiaryです

2012/06/15

ゴール



唐突なゴール 肩で息をしながら


 しかしゴールではない。では何故ゴールと題したかといえば、まず2009年6月21日のタイトルがスタートである、ということに起因しています。

 ゴールではない。では何故ゴールと題したかといえば、このweblogのゴールであるからです。未分類なログが増え過ぎたため、アーカイブとしての特性をフルに活用できなくなってきた。weblogとdairyの中間、時事系列のみが分類条件ですから、ログが堆積すればするほどアクセシビリティは悪くなっていきます。

 ゴールではない。では何故ゴールと題したかといえば、2009年5月から2012年3月までの環境と、2012年4月からの環境の変化、その節目としてのゴールです。更新が停滞し、かつ忘却に限りなく漸近している状況で、ゴールと題したポストをしかも4月ではなく6月に行うのは真に不本意ではございますが、ええ。形はどうあれ区切りをつけないといかん、と。ええ。


このweblogを振り返ってみる

 毎日更新、とはいかなかったが、一応その日毎に対応したポストを行うことができた。読み返してみると、元来の健忘症に傾いた僕の性向を補うが如く、日々の出来事や感心事、怠惰な生活などが記述されており、記録せねば、という志向性が感じられる。懐かしいものばかりで、昔のポストを見ると遠く感じるが、追っていくとあっという間だ。実にクネクネと曲がってきたな、と思う。

 2012年3月17日以降のログに関しては更新することを諦めてしまったが、卒業式は無事終えることができたし、涙は滞りなく流れた。離任式では色々と喋ったし、校長との最後のコンサートということで、離任式で退場してからもう一度体育館に戻って歌うというシャトルランも披露した。離任式退場時、僕は生徒ロードをなかなか抜けることができなかったのは、3年間の生徒からの総評価のような気がした。それは素直に嬉しかった。やり残したことや、気になることは沢山あるが、これからは少し遠くから彼ら彼女らを見守っていきたい。

都度、悩ましいことばかりだったが充実した日々だったのではないだろうか
かくも人間は経験を美化し生きていくのである
それが本質を覆い隠す時もあるけど、今はちょっとどうでもいいです
「みんな」と考えた時に思い浮かべる人たちが300人増えた3年間でした


でもゴールではない。ゴールではないのか


 何らかのログを残していくことが、僕自身の毎日に善く作用しているらしく、それを認識できた3ヶ月だった。再開するにしても少しこのページは重くなってきたし、引っ越しを考え始めました。適時アナウンスがあると思いますが、この期に及んで読者などというものは置き去りにしてしまっているのは既知、アナウンスの必要性がそもそもあるのか分かりませんが、僕の現況を知る唯一の手がかりがこのページである人もいるので必要性は担保されました。めでたしめでたし

 ここで閑話休題の後の大団円というわけにもいかず話題は転回する。僕はクラッチを踏む毎日でシフト操作も上達し、今までにない知識も脳に手に詰め込まれている。6月になってやっと頭が冷えてきたが、それは風力発電を見に行ったからか、スタジオライブを行ったからか、シャカイジーンな辟易を経験したからか。少しずつ変わっている現状ですが、変わりたくないし、変わっていきたい



画像は5月に自宅の部屋から。雨が降ったが僕は濡れなかったし遠くまで見えた



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