つまりDiaryです

2009/12/29

12/29 tue

そうか今日は火曜日か、と早くも曜日感覚をロストした。ロストなどと言わずに消失と言えばいいものを、自分はCICにでもいるつもりか、と問い糾したい。小一時間小話を入れてこぢんまりと小粋に問い糾したい。

日記は存外続いている。存外、ということは後に「僕は生来飽き性である」かのような表現が書かれると思われるだろうが、存外そうでもなく、実のところ「飽き性でも、またその逆でもない」という中途半端な性質を備えている。その中途半端さを説明することはできるが、面倒なのと面倒なので割愛させて頂こう。愛を割るのだ。愛の大安売り、やめておこう思ったことをそのまま出力するのは。

というのも、水柿シリーズに迷い込んでしまったのでこのような文章になっているのだと分析できる。読んでしばらくしてから既読であることを思い出した「解脱」であった。かように都合のよい、便利な脳ミソである。忘れることを馬鹿にしちゃいけない。忘れることで人間は生きていけるのだ、などと、さも分かりきったことを書くことには、実は重要な理由があって、それは後の伏線となるのだが、本線に戻ることはなく、ましてや過去地平に眠る空虚表象は現印象と相互覚起し充実することもないだろうアーメン

1日部屋で過ごした。あ、1行で終わっちゃった日記。作曲→煮詰まる→読書くらいのルーチン。贅沢な時間を過ごしていることを認識している。それ以上の含みはない。
そういえば久しぶりにこちらの方を更新した。例によって文体は水柿シリーズのまさにそれであると断言できない。

オーディオ・インターフェイス選定が中々決着を見ない、「決着を見ない」などという日本語があるのか分からないが、ニュアンスは伝わっていると思う。ニュアンスが伝わればそれでいいのか、という問題意識は勿論あるが、精緻な読解を必要とするほど難解なことについて論じているわけではないので問題はないだろう、という意識も兼ね備えている。たいした文量ではないのに、何の話か前の文を読み返さないと忘れてしまう。ほら便利、体験が新鮮!

入出力の点からはM-Audio、しかし8も必要か?と問われると疑問だ。まずマイクをそんなに所持していない。近場に都内のような機材レンタルができるスタジオはない。あってもせいぜい58が数本ってとこだ。山形シティまで行けばあるのか、分からないぜっ!無駄に元気があるような文章にするために、無駄に「!」を使ってみる。無駄に、を連発している時点で、僕を包む悲壮感を在り在りと感じ取って欲しい!目がシパシパしてきた!
duetに関しては、元々コンバータで名を馳せただけあって音は相当いいはず!問題は入出力が2in2outってところ!値段も1万くらい高い!そういえば我らがダークホース、Presonusを忘れていた!このオッサンはなんなんだ!そろそろ「!」も疲れてきたのでやめる。実は何回か打ち忘れていた。Fire Studio Projectも棄てがたい。しかし、これはueknとも話になったのだが、オッサンが胡散臭すぎて、イマイチこう、購買欲が沸き上がってこない。不思議だ。

ともかく迷っているのは十分に伝わったと楽観視している。それこそ保育園のプールくらい楽観視している。たぶん今の喩えは全然伝わっていないと思われる。もし伝わったと感じたならば、それは僕の思惑と無関係に飛翔した貴方の想像力だ。大事にするといい。

ともかく迷っているのは十二分に伝わったと思う。20%増量してみた。選手宣誓のきな臭さを想起させる。もはやオチは賢明な方々は容易に想像できたかもしれない。オチが想像できたからといって、それを先延ばしにできるように人間はデザインされていない、ことを祈りながら、皆の期待に応える形でオチを書いてオチようと思う。でも段々オチに自信がなくなってきたし、そもそもオチてないような気がしてきたのでCMを挟みたいが、生憎そんな機能はBlogger上にないらしい。ハードボイルドを想像して頂きたい。生憎とか自然に使えるようになったら俺は凄くかっこいいと思う。「生憎、そんな〜は持ち合わせていなくてね」とか言いたい。これが一般的なハードボイルド像に合致するのかどうか判断は委ねるが、ともかくそんな感じだ。文章ばかり太っていく。内容の密度と反比例関係にあるようだ。

というわけでそろそろオチようと思うのだが

既にオチは投下位置を過ぎ
握った拳は行き場を無くして空を切る
あああの時やめればよかった
後悔胸に落としてみせようこのブログ
あにはからんや 言わずもがなの新境地
見る者無くし今日も書く
それが私のブログ道

マツダ

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